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    Ka Paradiso o ka Pakipika 〜太平洋の楽園〜 Malaki

    • 2017.03.10 Friday
    • 10:05

    “Ka paradiso o ka Pakipika”とは、
    2013年1月〜2014年3月まで「名古屋ハワイアンクラブ」(以下 NHC)の会報誌に寄稿していたレイアロハ和多田のエッセーです。

    全15回、毎月休みなく掲載されていました。
    日本語訳で「太平洋の楽園」とレイアロハ和多田がタイトルをつけたように、ハワイの素敵なお話を新聞記事のようなイメージで綴っています。

    ちょっと前の話なので、すこーし話が???な場面もあるかもしれませんが、とてもお勉強になる話なので出来る限り原文のまま紹介していきたいと思います。

    また、本当は1月スタートですが季節を合わせて3月号からの投稿です!


    ↓↓以下、レイアロハ和多田の「かわら版 」はじまりはじまり〜♪↓↓

     

    NHCコラムでハワイの文化やフラの周りの事などを簡単にお話しさせて頂きます。
    毎月の私の書くことが、少しでも皆さんのお役に立ち楽しんで読んで頂ければ幸いです。

     

     

    皆さんお元気ですか。
    3月はハワイでは雨期が終わりつつある頃です。ハワイといえば、観光客がまず訪れるホノルル
    あるいはワイキーキー・ビーチを思い浮かべるのが日本人の一般的な印象だと思います。

     

     


    今回はこの二つの場所の名前について私が今思いつく事を書いてみました。

     

     

     

    アメリカ人観光客にとってのホノルルは、まず第2次大戦の幕開けとなった
    「リメンバー・パール・ハーバー」で有名なアリゾナ号の沈没している真珠湾でしょう。

    ↑USSアリゾナ・メモリアル(慰霊碑)左、と戦艦ミズーリ 右

    ↑同じく真珠湾 国定歴史建造物内にあるボーフィン潜水艦博物館公園

     


    今もハワイで休暇を過ごす大勢の退役軍人が訪れる場所は、まずこの港とワイキーキーの 海水浴ついでのフォート・デルーシーの陸軍博物館でしょうか。

    日本人の旅行者にとってのホノルルは、今は大抵空港から始まりますが、
    かつてはホノルル港から始まりました。

     

     

     

    ↑アロハタワー!1926年から港のシンボル

     

     

    ホノルルという市の名の語源については諸説ありますが、
    文字上の意味は「守られている湾・穏やかな湾」です。

     

     


    西洋の船が入る19世紀以前の港の古い名前は、コウ(地域)マーマラ(海)です。
    フラを習っている方々は有名な「カイ・アオ・マーマラ」を思い出されるのではないでしょうか。

     


    かつてこの地域は、少数の漁業を営む人々の住む村に過ぎませんでした。
    ただ、水深の深さで西洋の大型船が貿易のため入港できる港は、オアフ島にはここ以外に無かったので、その利便性でカメハメハ1世がワイキーキーからもっと港よりの
    ホノルルに島の行政府を移したのが1807年頃です。

    当時はまだ市長制度は存在せず、王に任命された知事が、ハワイ諸島の各島を治めていました。

     

    その後、カメハメハ三世が彼の王国の首都を遷したのが1845年だったそうです。
    (注:それまでの首都はハワイ島 カイルア・コナ→マウイ島 ラハイナでした)

     

    1888年発行の雑誌では、東西はパンチボール通りからヌウアヌ渓流まで、
    南北はベルタニア通りから海までがホノルル市と書かれていて、とても小さい町だったのがわかります。





    今の皆さんがよく知るワイキーキーも、オバマ大統領の出身校のあるプナホーも含まれていませんでした。
    これらは町中ではなく郊外で、馬に乗って遊びに行く所でした。

     

     

    今も1810年にビショップ博物館が印刷した昔の市街地図があるそうですが、
    私はそれを見た事があるかどうか定かではありません。
    ビショップに行ったのは、リニューアル・オープンの時か、世界に散らばってしまった クーの神様のキーイーが3体集められ展示された時か忘れてしまいました。

    古い歴史上のものと新しい作家のものが混ざっていてわかりにくく、見たような気もするので
    次回博物館に行ったとき、展示物の中から探してみたいと思います。

     

     


     


    ワイキーキーは、オアフ島の南側のアフプアア(島を山から海に分けた地域)の一つで、ビーチは穏やかで静かな波で知られていましたが、養魚池やタロ芋の水田のある湿気の多い土地で、
    多くの河川が流れ込み、肥沃ではあっても、あるものと言えば農家の作業小屋ぐらいでした。
    唯一の観光地はヘルモアの一万本のココナツの林を見に行く事ぐらいでした。
    ※下の動画 4人目が登場する場所に注目 さて、どこでしょう?!

     


    現在は日本人の多くの皆さんが良くご存知の観光地ですが、そこにあったラグーンに、
    1927年にロイヤル・ハワイアン・ホテルが建てられました。

     

    しかしながら、ワイキーキー初めてのホテルは「ザ・ファースト・レイディ・オブ・ワイキーキー」
    と呼ばれていたモアナ・ホテルです。

    私が日本航空につとめていた頃、
    よくホノルル便でお会いした日航の筆頭株主の小佐野さん率いる国際興行が後に買い取り、2年近くの改修工事で元の素晴らしい姿になり1989年にリニューアルオープンしました。


    私が名古屋と東京でフラを教え始めたのが25年前の1988年で、
    初めての生徒さんとのハワイ旅行で泊った新装開店のモアナ・ホテルは、今となると懐かしい思い出です。

     

     

    話のついでに言いますと、ロイヤル・ハワイアン・ホテルは、一斉を風靡したマトソニアの船旅の衰退により
    (ハワイへの観光客が飛行機で訪れるようになった)、
    1959年に船会社のマトソンからホテルチェーンのシェラトン・グループに売られてしまいました。


    ワイキーキーには、日本の若者に人気の焼き肉店や大阪で有名なお好み焼きの店は

    ずいぶん前からありましたし、今年に入って新たに有名な讃岐うどんの店が出店したそうですが、
    最近の中心街にある大型免税店などは、中国語を操る若い女性の店員さんばかりで
    私が独身の頃に訪れていた時のような日系人のおばさんの店員さんはみかけなくなりました。

     

     


    少し寂しい気もしますが、いつも世界で一番勢いのある国の人々の為にあるのがワイキーキーです。

     




    Leialoha

     

     

     

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